玄界灘と限界オタ

インターネットで細々と生きています @toiharuka

留年したくないのでスマブラのリトルマックで卒論を書いた

 おい!この酷いGPAを見ろよ!

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1.00を切ると「お前もう大学辞めろよ」と言うためだけの面談をされる

 

 マジで酷すぎる。このままでは卒業の危機である。
 というわけで教授にお願いしにいくことにした。


 この教授、ぼくの落とした単位の大半を握っている上、なんとぼくの所属しているゼミのボスでもある。飄々としているくせしてやたら授業態度や提出物の締め切りにこだわるので、授業を如何にやり過ごすかに熱意を注ぐこちらとしてはいい迷惑なのだ。


 教授室のドアに強めのノックを二回叩き込む。
「ここはトイレじゃないぞ」
 中から入室の許可が出たので、ドアを蹴破るように開けて言い放った。
「すみません教授、単位はいくらで買えますか」
 教授は椅子の上でふんぞり返ったまま答えた。
「お前の内臓をすべて売ってようやく二単位買えるかどうかだな」
 お互いの眉間をにらみ合う。教授とぼくの関係性がよく示された、非常に友好的な挨拶である。
「いいんですか。かわいいゼミ生がこんなに頭を下げてるんですよ。少しは温情を見せてもいいでしょう」
「整体直後の体操選手でもそんなに背筋は伸びてないと思うんだがな」
「シライはぼくが考案したんですけどね」
 その軽口とは裏腹に、ぼくは教授との距離を慎重に詰めていく。お互いの間合いに入った瞬間が勝負である。教授の喉元を切り裂き、彼のPCから成績表を書き換えれば良い。


 飛び掛かるまであと半歩、というところで教授が口を開いた。
「実際、私としても自分のゼミから留年者を出すのは忍びない。出来の悪い学生を飼い馴らすことも教授としての役目だからな」
「じゃあさっさと単位を出してください」
「やだ」
「ムキー!」
 怒りのあまり、ぼくは間合いの一歩手前で飛び掛かってしまった。紙一重で届かなかった手刀は空を切る。流れるように椅子から立ち上がった教授はぼくの腕に手を添え、手刀の勢いを利用し投げ飛ばした。視界が半回転したあと、地面に叩きつけられる。完敗だった。
「若造が。合気道五段を舐めるなよ」
「ボケジジイが……」
「話を聞け。何度も言うが、私もゼミから留年者を出したくはない。だが、教授室に放火しようとする阿呆においそれと単位を渡したくもないのも事実だ。なにより、真面目に勉強してる他の学生に示しがつかない」
「自分好みの女子にセクハラメールと単位を配ってるジジイが今更何を示すんですか」
「ええい、話が進まん」教授は舌打ちしながら、寝ころんだぼくの腹に蹴りを叩き込んだ。ぐえ、とうめき声がみぞおちのあたりから漏れた。

「ひとつ訊くが、お前も言語学を専攻してるなら『サピア=ウォーフの仮説』くらい知っているよな。この間の授業でも説明したが」
「あいにく、教授の子守唄の歌詞は覚えてませんね。よく眠れるので重宝してるんですが」
 さっきより強めの蹴りがみぞおちに食い込んだ。そろそろ吐きそうになっているぼくを見下ろしつつ、教授は続ける。

「『サピア=ウォーフの仮説』とは、人間の思考はそいつが使う言語に大きく影響されるという考え方だ。たとえば日本では虹を七色で表すが、ドイツでは五色、南アジアでは赤と黒の二色だと言われている。だが、これといった強い根拠は示せずに仮説止まりになってるのが現状だ」

「それがどうかしたんですか」

「最近、この仮説に進展があった。最近流行りのesportsに着目した学者がいてな。そいつによれば、プレイヤーの使う言語によって戦術の傾向に違いが出るらしい。元々サッカーのようなフィジカルスポーツでも同じような提案はされていたんだが、そちらは国によって言語だけでなく身体能力にも大きな違いが出てしまう。純粋な思考がスピーディに反映されるesportsならば、長年議論されてきた『仮説』に終止符を打つことができるかもしれない」

 たしかにスマブラの立ち回りは、日本とアメリカで大きく違う。そして、日本でよく重要視される『反撃確定』という単語に、英語の純粋な言い換えは存在しない。反対に、英語圏の『Zoning』という単語にも、日本語で言い換えることはできないのだ。

 しかしぼくには関係のないことである。というか関係ないことにしたい。

「それは非常にすばらしい展望ですね。嫌な予感がするのでそろそろ帰っていいですか」
「お前、たしかスマブラ好きだったよな」
「教授のせいでたった今嫌いになったところです」

 教授がニヤニヤしはじめた。まずい!

「研究するならあくまで他言語に影響を受けてないところがいいよなぁ~。英語圏と日本語圏は文献や動画があるからいいとして、日本語も英語も届いてないようなところってないかなぁ~」


「教授」


「今はグローバル社会だからどこの国も英語の影響は受けてるよなぁ~。それならいっそのこと文明に触れてない未開の部族を研究すればわかるかもだよなぁ~。スマブラはよく知らないけど全世界で親しまれてるらしいからきっと未開の部族もやってるだろうしぃ~」


「なぁ」


「言語を研究するのにフィールドワークは必須だよなぁ~。おっと、ちょうどこんなところに大学が推進してるペルーへの留学プログラムがぁ~。ペルーに行きたがるやつがいないから大学側から圧力かけられてたけど、うちのゼミ生から志願してくれるやつがいれば、私としても単位をあげちゃうほど嬉しいんだけどなぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 

 

 おい

 

 

 

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 ふざけるな

 

 

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 どうして

 

 

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 今回のオフレポはペルー奥地のアマゾンからお送りします。

 

 

 富山から東京を発ち、カナダを経由してペルーのリマに到着。そこから、アマゾンの玄関口であるイキトスに向かい、現地のボートに乗ってアマゾン河を渡ると、熱帯雨林にたどり着くのだ。

 ボートを降りると、予想していたよりもずっと原始的な光景があった。やたら背の高くて細身の木々がなんの規則性も持たずに突っ立っていて、その足元にも草木が生い茂っている。視界中に緑が渋滞したその隙間から無数の動物の鳴き声が、力強い地響きとなってぼくを揺さぶった。むしろ、動物だけでなく植物も一緒になって声を荒げているかのようでもある。とにかく圧巻だった。

 アマゾンに入ろうとするとき、ボートの漕ぎ手がぼくに忠告してくれた。
「あんたみたいにガイドもつけずにアマゾンに行こうとするやつは珍しい。くれぐれも遭難するなよ」
「わかりました!」

 その日のうちに遭難した。
 スマホの充電も切れたしマジでどうしよう~~~~とか思ってたら、足を滑らせて後頭部を強打して気を失った。アホすぎる。

 首元にちくちくとした肌触りがまずあった。
 そして、自分がアマゾンにいたことを思い出し、飛び起きる。ここはどこだ。
 周りを見渡すと、自分が寝ていたらしい藁の束、細長い枝の支柱と藁だけで組まれた、頼りない天井があった。そして、浅黒い肌の男が二人。
「マジリカリコ トスカ」
 奇怪なアクセントで、片方の男はそう言った。これが「トルマク族」との出会いだった。

 

 トルマク族、という名前はぼくが名付けたものだ。アマゾンには発見されているだけで約15グループの未接触部族が暮らしていると言われているが、彼らはそのどれでもなかった。
 というのも、トルマク族が使う言語が完全に彼ら独自のものだったからだ。
 ぼくが目を覚ましてからのことを書こう。
「カィ、ィマ?」(これは何?)
 ぼくは一本の木を指差しながら、事前に勉強しておいたケチュア語で尋ねた。
 ケチュア語はペルーの公用語の一つだ。厳密には純粋なケチュア語というのは存在しないのだが、アマゾン圏内の部族は少なからずケチュア語の影響を受けていると言われている。日本人が中国語の意味を漠然と理解できる感覚に近い。(麺麺腕長過之万死値全人類怒核使用)
 しかし、彼らは首を捻った。ぼくは諦めずに木を指しながら「ィマ!?」と尋ねると、彼らはぼくの意図を理解したらしく、木に手を当てながら「スベェニ」と言った。
 ぼくがふたたび木を指さしながら「スベェニ?」と言うと、彼らは歯茎をむき出しにして笑顔を見せた。笑顔は全人類が本能的に持つ感情表現だ。文化や言語の仕組みがどれだけ違っても、これだけは共通している。
 だが、彼らが木のことを「スベェニ」と呼んでいるらしいのは衝撃だった。ケチュア語の影響が全く見受けられないのだ。
 ケチュア語では木をクルゥ、もしくはマゥキと呼ぶ。これはどう変化してもスベェニとならない。
 そして、ケチュア語は基本的にa,i,uのみの母音で構成されている。eやoが使われることもあるが、まれだ。
 そのあとも、ぼくは色んなものを指さしていった。トルマク族は未知の単語で答え、笑顔を見せた。ぼくは完全に独立した言語族の名詞をメモ帳に書き留めながら、彼らはどこからやってきたのだろう、と不思議に思った。

 しばらくすると手持ちの単語が増え、拙いながらもある程度の会話ができるようになった。文法構造がシンプルなのも幸いだった。
「きみが草むらのなかで眠ってしまっているのをみつけた。きみを放置しておくと、ジャガーが死体の味を覚えるとおれは思った。それはおれたちにとって危険だ。だから、きみを助けた」
 トルマク族のひとりが言った。
 彼の名前はチンバ。トルマク族は屈強ながらも、全体的に身長が低い。その中でも一段と小さな身体をしているのがチンバだった。
「きみはしばらくここにいて良い。おれたちのことばを調べている。目的があるんだろう」
 ぼくはペルーに来た理由を話した。スマブラというゲームをプレイしている部族のことを調べなければ日本に帰れないと聞くと、チンバは大きな声を上げて笑った。
「それは不幸だ。しかし、幸運でもある。おれたちはきみが求めているものだからだ」
 チンバは立ち上がり、ぼくを村の奥まで連れて行った。村で一番大きな家屋があった。集会場みたいなものだろうか。
 中は活気立っていた。地べたに敷かれた藁の上で胡坐をかき、各々が部屋の奥を見つめ、膝を叩き叫んでいる。
 その視線の先にあったのは、ひとつのモニターだった。
スマブラじゃん」
 ぼくは思わず日本語で漏らした。
 チンバは異国の言葉を知らないが、ぼくがなんと言ったのかは容易に理解したらしい。
「きみにおれたちのスマブラを教えてあげよう。その代わり、きみの育った世界のことを教えてほしい」

 トルマク族の最大の特徴──その全員がスマブラをプレイし、リトルマックを使っている。
 そして、強い。

 試合開始から二分が経った。
 戦場にふたりのリトルマックが佇んでいる。
 彼らは拳を振らない。スティックをどれだけ小さく倒しているのかわからないほどにゆっくりと相手に歩み寄ったと思えば、弾けるように反対側にステップする。そんな奇妙なステップ戦を、ずっと繰り返している。
「どうして突っ込まないんですか。あそこまで間合いを詰めたなら、ダッシュ攻撃なんかで差し込めそうですが」
 ぼくがチンバに問いかけると、彼は笑った。
「そうか。きみにはそう見えるんだな。だが、おれたちにとってはあの距離は遠すぎる」
 画面を注視する。相変わらず一定の間合いになると、後ろへのステップを繰り出す。しかし、その間合いは横強がちょうど当たりそうなほど肉薄していて、とても遠すぎるようには見えなかった。
 不意にチンバが声をあげる。
「そこは当たるぞ」
 言い切る前に、片方のリトルマックダッシュ攻撃を放った。それを喰らったリトルマックが宙に浮かぶ。
「ようやくダメージが入りましたね。一歩リードだ」
「いや、終わりだ」
 ぼくがチンバの呟きの意味を理解する暇もなく、着地狩りが始まった。浮かされたリトルマックはジャンプや回避を駆使しながら逃れようとする。しかし、そのすべてが当然のように狩られているのを見て、ぼくは絶句してしまった。この着地狩り展開はせいぜい読み合いのはずなのに、全部が確定しているのではと錯覚してしまうほどだった。
 たまらず戦場の一番上の台に逃げる防御側。しかし、攻撃側のリトルマックがジャンプと移動回避を組み合わせながらするすると台を登って追いついていく。上スマが綺麗に入って、撃墜の音が響いた。
「あの距離に踏み込んでしまった時点で、勝負は決まっていた。だから、間合いに入る瞬間が重要なんだ」
 チンバはそう言っていくつもの専門用語を挙げながら、立ち回りの考え方を述べ始めた。その用語のどれもが独特な意味を持っていた。その概念を、日本語や英語に一言で言い換えることができないのだ。
 ぼくは根気強くトルマク族の根底にある立ち回りの考え方を探った。その結果見えてきたのは、「空中にいる状況自体が弱い」と考える、トルマク語によって規定された思考だった。

リトルマックを使っているから空中にいることを弱いと考えるんじゃない。空中にいれば弱いと考えるようになったから、地上の強さのみを追い求めるようになった。だから、おれたちはリトルマックを使っているんだ」
 チンバが言ったように、トルマク族の地上でのプレイングは文明側とは比べ物にならないほど高度なものだった。
 研究の一環として、ぼくもよく彼らと対戦させてもらった。
 ぼくはベヨネッタをよく使っていた。なんやかんや崖外に出して復帰阻止すればよい、という極めて文明的な対リトルマックの考え方だ。
 結果、ボロ負けし続けた。まず攻撃が当たらないのだ。
 彼らが立ち回りの主軸として使う、前歩き→引きステップ。彼らは「カニ」と呼んでいた。
 これが全く崩せない。限りなくニュートラルに近い位置にスティックを配置して相手側の差し込みに備えつつ、ゆっくりと、しかし着実にラインを詰めていく。そして人間の反応速度では相手キャラの攻撃を捌けない、という間合いに入る直前に引きステップを入れる。
 つまり、適切な「カニ」ができれば、相手の攻撃に当たることはないというわけだ。
ベヨネッタでは『カニ』を崩すのは難しいだろう。どの攻撃も遅すぎる」
 チンバはそう言いながらベヨネッタのあらゆる差し込みを処理していった。目の前にいると思って出した下強なんかはカニの引きステップで綺麗に躱され、反撃を喰らう。引きステップを狩るために空中攻撃やヒールスライドなんかで深めに差し込んでも、ニュートラルに限りなく近づけたスティック位置のおかげで、ガードで受け止められてすぐに反撃される。
 そして、彼らは一度相手を浮かせれば相手を必ず撃墜させた。誇張でなく、着地できないのだ。空中攻撃で誤魔化すのも、台に逃げても意味はない。リトルマックが常に真下に張り付いているからだ。
 たまらず崖を掴みにいこうとすれば、崖を掴むときに発生する30分の1秒の隙を下スマッシュで的確に殴ってくる。パルテナのテレポートなんかで隙を消せば崖を掴むことは可能だったが、今度は崖が上がれない。その場上がりも攻撃上がりも回避上がりも見てから狩られる。ジャンプ上がりだけは通るのだが、そのあとはまた着地狩りの地獄が始まるだけだ。

 ひとつの完成形がそこにあった。

 

 チンバはぼくが話す文明側の世界をとても興味深そうに聴いてくれた。やはりアマゾンの外の話は刺激的らしい。
「せっかくなら日本に来てみればいいのに」
「だが、おれはこの故郷から離れることはできない。ここで一生を過ごすのだ」
 チンバの意志は固そうだった。よほど地元に思い入れがあるのだろうか。

 ぼくはトルマク族にすっかり馴染んだ。調査のなかで彼らと寝食を共にし、狩りの仕方も覚えた。アマゾン河の支流に腰まで浸かり、太い木の枝で水中の魚を叩く。あとは気絶した魚を素手で掴むのだ。アマゾン内でよく用いられる伝統的な漁のやり方である。

 あるとき、一メートルに迫るような大物を捕まえることができた。チンバは「今夜の食事は贅沢だな」と手を叩きながら一緒に喜んでくれた。
 日が沈みつつあった。男たちが漁を終えて村に戻ると、村のあちこちで木の実を仕分けしているはずの女子供たちの姿が見えなかった。
「どうしたのかな」
「きっと、あそこだろう」
 チンバはスマブラ集会場のほうを見て言った。
「客人が来たらしい」

 集会場に入ると、女子供たちがいた。それと、明らかにトルマク族とは別の格好をした、無数の男たちが胡座をかいていた。
 ぼくは驚いた。アマゾン内の部族はそのどれもが敵対していると言われている。森林面積が減少しつつあるアマゾンの中で、住む場所を奪い合っていると聞いていたからだ。
 だから、こうやって不在の村へ大人数で押し掛けて大人しく座っているというのは意外だった。
 奥の方でトルマク族の長と別部族の長らしき男が向かい合っていた。二人は指を折り曲げながら何かを数えていた。だが、どちらも口を開くことはない。言葉が通じないのだろうか。
 ぼくは別部族の男たちが話しているほうへ耳を向けてみた。
 全く聴き取れない。子音がやたらに多いのだ。たまに発する母音はせいぜい2つ程度で、ほぼ口の中だけで喋るその姿はなんだか不気味に思えた。
 彼らの言語も、ケチュア語の影響が全く見受けられない。ルーツがわからないのだ。
 ぼくが困惑しつつあると、チンバが声をかけてきた。
「きみはあそこに座って見ていてくれ。おれたちは今からスマブラで戦う」
スマブラで?」
「そうだ。彼らはシークを使うらしい。おれたちのリトルマックと、ストックを引き継ぎながら戦う」
 どうやら今から対抗戦が行われるらしい。言語がまるっきり違う彼らにも、スマブラという共通項があるのだ。ぼくはチンバの活躍を願いつつ、試合の開始を待った。

 トルマク族の一番手は村でも五本の指に数えられる実力者だった。彼が暴れてくれれば、シーク族(と呼ぶことにした)のストックを大幅に削ることができる。
 ふたりの戦士がモニターの前に座り、試合が始まった。どのようにして決めたのかはわからないが、ステージは戦場である。
 リトルマックが「カニ」を利用しながらゆっくりと距離を詰める。シークは台から降りたあと、NBで着実に針を貯めていた。
 シークがおもむろに針を投げた。弾速はかなりのものだったが、マックはそれをすべてシールドで受け止め、なおも距離を詰めた。
 ある一定の距離になって、マック側が引きステップを繰り出す。「カニ」の根幹である、相手の差し込みに反応できる距離を保つための独特の間合い管理だ。
 シークがこれに反応して、ダッシュ攻撃を繰り出した。が、少し遅かったらしい。トルマク族の素早い反応速度がこれをシールドで受け止め、ガーキャン上スマッシュで反撃を取った。
 浮かされたシークは空中ジャンプを消費しながら台上に逃げる。しかし、トルマク族は一度浮かせた相手を逃さない。台を乗り継ぎながら対空攻撃を重ね、たまらず崖に逃げようとしたシークを下スマッシュで殴り飛ばした。ストックリードだ。
 シーク族も負けていない。「カニ」のわずかなステップの隙に針を当て、微妙に浮かせたところを掴む。そのまま見たこともないコンボルートを繋ぎながらマックを崖外まで追いやり、そのまま復帰阻止を繰り返しながら撃墜に持ち込む。見事な差し合いがそこにあった。

 一進一退の攻防の末、先鋒戦に勝利したのはシーク族だった。
 本当に凄い試合だった。やはり彼らが文明側のスマブラシーンに参戦すれば、一気に上位に食い込むのは間違いない。
 ぼくがその見応えに感嘆していると、今敗北したばかりのトルマク族の先鋒が、ふらりと立ち上がった。
 いつのまにかその手には小さな木片が握られていた。その先は、細く鋭く磨かれている。魚なんかを捌くときに使う手製のナイフだ。
 きっと魚の汁を吸いこんで生臭いんだろうな、あとで嗅がせてもらおう。なんて考えていたら、彼はそのナイフを思い切り自分の首に突き刺した。

 

 

 あまりにも不意だった。肺が大きく膨らむ感覚がして、吸い込まれた空気がぼくの喉をひゅっと鳴らした。
 先鋒の彼はナイフを躊躇いもなく引き抜いて、地面にぽろりとこぼした。
 首からとめどなく流れる赤いそれが、彼の胸を伝い、足の先まで流れ落ち続ける。その足で彼はよろよろと歩き、集会場の外に出て行った。
 ぼくは目の前の異様な光景に対して、悲鳴すらあげられず、ただ茫然と見つめることしかできなかった。このパニックを叫び声として響かせるには、あまりにも周りが静かすぎた。これは至って当たり前の光景ですよと言わんばかりに、誰もがその行為を、悲しくもあるが当然の結末でもあるように見届けていたのだ。
 あまりにも静寂が満ちているので、この状況で音を立てることが恐ろしく常識外れな気がして、しばらくその場から動けずにいた。トルマク族の二番手がモニターの前に座り、コントローラーをカチカチと鳴らしてくれたので、ぼくはようやく立ち上がることができた。
 胡坐をかいて座るチンバに駆け寄って、何が起きているのかを訊こうとしたが、うまく口が開かない。チンバはぼくの動揺を汲み取って、自ら説明を始めた。
「かれは勇敢な戦士だったが、スマブラには負けた。すべてのストックを失った。だから、魂が死んでしまった。魂が死んでしまえば、残された体はただの抜け殻だ。だから、体が魂を追いかけた。それだけのことだ」
 チンバは沈欝に、しかし明快に述べた。それはあまりにも強固な筋が通った常識だった。よく考えてみれば当たり前のことだ。そうだった。魂が死ねば体も死ぬ。言うまでもなく、至極当然。それはとても明白な法則で、赤子にも分かり切った必定の道理で、ただの宿命だ。

 違う。スマブラに負けても、人が死を選ぶ理由にはならない。
 ぼくは自分が一瞬でも納得してしまったことが恐ろしくなった。この小さな集会場を支配する狂った常識に、容易く飲まれてしまったのだ。もしさっきまでのぼくが魂をかけてスマブラで戦い、負けてしまったら、なんの躊躇いもなく木の枝を首に突き立てただろう。
 そして、この場にいるぼく以外の誰もが、これが極めて道徳的な事実だと受け入れてしまっている。
 二戦目が始まった。シーク族の先鋒が残していた最後の一ストックはものの数十秒で砕かれた。彼もこの集会場に蔓延った極めて一般的な論理に則り、タイムカード代わりの木棒を首に挿し込んで、静かに退場していった。
 これがなんべんも繰り返された。集会場のなかはどんどん人が消えて、さらに静かになっていった。一家の大黒柱がその首筋にささやかなスベェニを受け入れるのを見た妻や子供は、その後をゆっくりと着いていく。
 その行き着く先は死後の世界なんだろうな、となんとなく分かった。

 気が付くと、シーク族の見知らぬ男が、ひとり。トルマク族が、チンバひとり。
 そのふたりをただ見つめるだけのぼくがいた。
 チンバが立ち上がり、モニターの前へ向かおうとする。
 ぼくはほぼ無意識に呼び止めて、問いかけた。
「怖くないのかい」
「トルマク族の戦士は勇敢だ。だから、死を恐れない」
 そうだ。トルマク族は皆、死を恐れなかった。だから、そこの床に転がってるちっぽけな木の棒で、簡単に死んだのだ。
 アマゾンの奥地に救急医療なんて大層なものは存在しない。とめどなく血が溢れるような怪我を負えば、小さな川のほとりに寝そべって、ゆるやかに死を待つのみだ。
 チンバがモニターの前に座ると、すぐに試合が始まった。シーク族の最後の男は、ストックをひとつだけ残していた。正真正銘、彼のたったひとつしかない命だ。
 チンバはそれを呆気なく消し飛ばした。わずかな隙を下強で拾い、満身創痍のシークを上スマッシュで殴り上げた。
 シーク族は目の前で呆気なく絶滅した。すっかり赤黒くなった木のナイフが転がっているのを見て、安堵のような気持ちが沸くのをどうしても止められなかった。
「おれはひとりになった」
 チンバが呟いた。彼のトルマク語を理解できるのは、もはや世界でぼくひとりらしかった。
「日本に一緒に行こう」
 気が付くと、ぼくはほぼ無意識に、チンバに提案していた。
「君にとっては確かにアマゾンは慣れ親しんだ故郷かもしれない。だが、それでも君一人で生きていくにはアマゾンは過酷すぎる。昼夜を問わず涎を垂らした動物が、君の寝床に飛び掛かる。だけど、日本にそんなのはいない。あるのは、君のスマブラを讃えてくれるコミュニティだ」
 何も考えられなかったけど、理由がすらすらと出てきたので自分でも驚いた。
 しかし、チンバは何も言わない。かわりに、汚れ切った木のナイフを拾い上げた。
「そんなものは日本に来れば使うことはない。頼むから捨ててくれ」
 チンバは微笑んだ。ナイフを握るその手は、一生離すことはないんじゃないかと思えるほどに固く握られていて、ぼくはチンバがこの密林で生きていくのだと知った。
「きみがおれのことを心配してくれているのはわかった。だが、おれはこの自然から出ていこうとは思えないんだ」
 そこまで言って、チンバは口をつぐんだ。何かを伝えようとしていたが、不思議に悩んでいた。
「どうしたんだい」
「なんと言えばいいのかわからないんだ」
 チンバはしきりに悩んだあと、思いついたように一つのことばを呟いた。
 今まで聴いたことのない単語だった。しかし、チンバは満足そうな表情を浮かべ、集会場の外に満ちた闇の奥に消えていった。

 ぼくは帰国したあと、研究室に籠り続けた。
 理由はふたつ。なんとしても、トルマク族が存在した証拠を残したかった。だから卒論という形で、彼らがどんな言語を用いて、どんな思考でその立ち回りを選んでいたのかをできるだけ正確に記した。
 もうひとつは、チンバが最後に残したあのことば。その意味を知るために、類推に役立ちそうな言語学の分野を片っ端から学び直した。
 教授にもひたすら頭を下げた。自分ではどうしても読み解けない難解な論文を理解したかったのだ。
 当の教授は、前までの愛想の悪さが嘘のように根気良く付き合ってくれた。

 卒論を提出してからしばらくして、教務課からぼくの論文が優秀論文に選ばれたとの知らせが届いた。というか、学外でも結構な評価を貰えたようだった。近年は否定されつつあったサピア=ウォーフの仮説の影響を見直すべき学術的意義が顕著に見られるとして、どこかの学術雑誌に掲載されることになったらしい。
 生憎、ぼくにとってはどうでもよい話だった。唯一ありがたいと感じたのは、特例として無条件で大学院に進むことが認められたくらいだろうか。
 チンバのあのことばの意味は、未だにわからなかった。だからぼくは研究を続けるしかなかった。大学院で過ごす二年間では到底足りないようにも思えたが、そのときはそのときだ。
 それに、あの卒論はトルマク族の思考を完全には記せていない。彼らの思考はもっと複雑で、まだまだ時間がかかるだろう。

 いつものように研究室の鍵を教務課へ受け取りに行くと、受付の人に呼び止められた。
「どうしたんですか」
「昨日、急に退職されたんです」
「誰が」
「教授です」
 研究室に行くと、あんなに乱雑だった教授の机は更地のようにさっぱりとしていた。
 そこに一枚だけ封筒が置かれていた。表面にはぼくの名前。
 中には、走り書きの手紙が入っていた。
 

 院進おめでとう。卒業できるか危ういところにいた君がまさかこうなるとは思ってもいなかった。
 だが、今の君にとっては些細なことなんだろう。もっと知りたいことがあるはずだ。
 今からそのことについて書こうと思う。君が目撃したアマゾンの彼らのことを。

 人工言語というものがある。
 通常の言語は人間のコミュニケーションで自然に発生し、発展していく。だが、人工言語は文法や語彙を人為的に作る。エスペラント語などが有名だろう。
 私は昔から多くの人工言語を開発していた。構造言語学の研究の一環だ。
 研究費が出るようなメジャーな内容ではなかったし、ほぼ趣味の延長のようなものだ。論文も書かず、検索エンジンでも取り出せないような小さなブログにちまちまとアップロードしていたよ。
 だが、ある日誰も見ていないと思っていたはずのブログにひとつのコメントがあった。
『あなたに作ってもらいたい言語がある。お伺いしてよろしいですか?』とね。
 待ち合わせのカフェに行くと、外国人の男が座っていた。
 そして彼は、机の上に一枚の小切手を置いたんだ。まるで20円引きのクーポンを渡すようにね。だが、そこに書かれていたのは、信じられないような金額だった。あんなにゼロの数を確かめることは、後にも先にもないだろう。
 私は小切手が本物であることを確認すると、男は言った。
 87個の人工言語を作ってほしい、とね。
 87という数字。当時の私にはわからなかったが、君にはピンときたかもしれない。大乱闘スマッシュブラザーズSPで参戦したキャラクター、その総数だ。
サピア=ウォーフの仮説に従えば、思考は言語に規定される。そして、スマブラの強さは思考に規定される。”我々”はこう考えている」
 つまりだ。その男、いや、その男の所属する巨大な組織は、スマブラに最適化された言語を生み出そうとしていたわけだ。正直言って恐れ入ったよ。世界には、自分の知らない巨大な権力があるんだと実感させられた。テーブルに寝そべった小切手のゼロが、あまりにも大きく見えたんだ。
 しかし、同時に強い好奇心にも駆られた。研究者としての喜びとも言えるのかもしれない。言葉が思考を支配するという永遠の仮説を、私の手で解き明かす使命感に満たされた。
 そして私は人知れず87の言語の開発に没頭した。組織からのブラッシュアップを何度も受けながら、それぞれのキャラに最適化された言語を作り出したんだ。
 完成した87の言語の最終稿を男に手渡すと、彼は「ご苦労」とだけ言って姿を消した。

 長い時間が過ぎて、音信不通のままだった組織から手紙があった。
「貴方は非常に良い仕事をしてくれた。これはチップだ」
 手紙の中には一枚の小切手が同封されていた。こちらのゼロの数は、まあ書くまでもないだろう。
 そして、手紙の差出人はペルーにあった。真相が知りたければ此処に来ればよい、と示しているのは容易に想像できた。
 私は自分の言語が如何に効果を発揮したか、なんとしても確認したいと思った。しかし、同時に躊躇ってもいた。私の作った言語は思考を染め上げるためのものだ。もし、自分の言語によって規定された思考が地獄の苦しみを伴っているとしたら……この恐怖が理解できるかね。人の思考を形作ってしまった、という恐怖が。どんなに倫理観から外れた通念がその言語に満ちてしまったのではと考えると、それを自分の目で確かめる勇気が、私にはどうしても出なかった。
 そこに君が現れた。もし私の代わりにすべての真相を目撃してくれるならば、単位なぞいくらでも差し出そう。そんな気持ちで、君をペルーに送ったんだ。
 もうわかっているだろうが、君が出会ったトルマク族。彼らが使う言語は、アマゾン内で自然に紡がれたものではない。リトルマックを使うための思考を養うための、人造の言語だ。
 君の話と照らし合わせて、分かったことがある。組織は私の言語を87の部族へ定着させたのだ。彼らが元々使っていたケチュア語派生の言語はとても貧弱だ。語彙も文法も使い勝手が悪い。あの組織ならば、元の言語から置き換えるのにそう時間はかからなかっただろう。
 そして、スマブラを与え、部族同士で争わせた。最後に残った部族の使う言語が、スマブラの結論として導き出せるように。

 君が憑りつかれたように研究へ没頭する姿を見て、私にも思い直すところがあった。君は失われた言語を、その思考を追い求めていた。対して私は思考に恐怖し、向き合おうとせずにいたんだ。
 自分の未熟さを知ったよ。それも学生から教えられたとなると、教授失格だ。
 だから私は教授を辞めた。君が今この手紙を読んでいるころには、私はペルーにいるだろう。
 日本には戻らない。もし私の言語を扱う彼らと会えたなら、共に生活し、生み出した言葉の行く末を見守ろうと思う。生涯をかけてね。これが、私なりの責任の取り方だ。
 君は怠惰な学生だったが、研究者としての情熱は目覚ましいものがあった。もし君が今後も研究を続け、私が骨を遺すアマゾンにも名が届くようになるのであれば、これ以上誇らしいことはない。

 追記しておこう。君がトルマク族最後の男から聞いたことば。あれは、私の作った言語には存在しない語彙だ。つまり、彼自身が感情を吐露するための思考から紡がれたことば……言語が思考を規定するのと同時に、思考が言語を産み出したわけだ。
 言語は統一されていく。世界では英語が拡大し続け、話者の少ない少数言語は淘汰されつつある。
 そんな中で、彼は新たな言語を産み出し、君にそれを伝えた。彼と君だけの間でのみ通じる、たった一つの語彙で作られた小さな言語だ。
 ならばそのことばの意味は、君の中にもあるものだと私は思うのだ。
 

 手紙を読み終えて、外に出た。
 肌寒さを感じる。そこにアマゾンの蒸し暑さはない。だけど、あのときのことはついさっきのように思い出せる。
 薄暗い空を見上げながら、チンバの言っていたあのことばをつぶやいた。
 ありがとう、と言われた気がした。ことばが思考を産み出したのだろうか。