玄界灘と限界オタ

インターネットで細々と生きています @toiharuka

違法マクロコンの犯人を追え!FBI密着24時

 

Amazon | 【連射/背面ボタン搭載】 CYBER ・ ジャイロコントローラー 有線タイプ ( SWITCH 用) ブラック | ゲーム

ぼくはこのFBIの仕事に誇りを持っている。市民の安全を守り、平和なアメリカを維持する。シンプルだ。
そのために行われている業務の一つに、プロファイリングデータの収集がある。
プロファイリングというと過去の犯罪事件の傾向を収集し、新たな犯罪の傾向を割り出すものだが、これはスマブラにおいてはプレイスタイルを分析することによって似たような統計を得ることができる。
例を挙げると、急に虚空で上スマを振り回し始めるとか、すべての行動の後隙にその場回避を入れ込んでいるとか、ミェンミェンとリトルマックのダブルメインとか……これらの場合、のちに犯罪に走る傾向が高くなる。
決して偏見ではない。統計上、裏打ちされた事実だ。
ただし、ぼくがこのときおこなっていたのは犯罪者の情報収集ではなく、あくまで一般人のほうだった。
何が異常かを判別するためには、何が正常かを知っておかなければならない。そうしなければ、だれかのシークがやたら空前を出しているのを見て、「FBIだ!」と叫びながら突入する羽目になる。あいにく、全世界のシーク使いを牢屋にぶち込むに彼らはあまりにも清廉潔白すぎる。


とあるカルフォルニアの銀行で行われたマネーマッチのリプレイ。すべてのマネーマッチがアーカイブされた国内銀行共用データベースは、一般人のプレイ傾向を知るにはちょうどよかった。
指の赴くままに許多のリプレイを鑑賞し、分析する。これを延々と繰り返すなかで、ひとつ、気になるリプレイがあった。
きっとふつうにみればなんの変哲もないリプレイなのだろう。
だが、「一般人の正常なプレイ」をうんざりするほどみてきたぼくにとって、そのリプレイははっきり異常だった。

同僚のニックを呼び出したぼくはリプレイのとあるシーンを再生した。
「マリオの掴みに対してジョーカーのこのレバガチャ。違和感があるだろ」
「いや、たしかにレバガチャのエフェクトが出てるけど」
同僚のニックは目を細めて、
「全部、掴み抜けが起きる前に投げられてる。マリオは掴み打撃は最低限しか入れてないな。競技レベルの上昇で様々なプレイヤーが早いレバガチャを行うようになったし、それに伴って安定を取ったこういう投げ方をするプレイヤーも増えてる。これじゃレバガチャの早さなんてわかるわけない。違うか?」
「違う」
リプレイをいじくり、ニックに問題のシーンを繰り返し映す。
「掴みの拘束時間が180F以下になったときの黄色い明滅があるだろう」
「そんなのがあるのか」
「仮にもFBIの職員なんだから覚えとけよ。掴まれたあと、黄色い明滅の始まるタイミングが早すぎるんだ」
レバガチャの入力数は%から逆算することが可能だ。
掴み後の基礎拘束時間は90Fで、1.0%の蓄積ダメージごとに1.7Fずつ増加する。掴み打撃で増加した%は計算されないから、掴まれた瞬間から何Fの拘束が発生するのかがわかるのだ。
そして、レバガチャでどれだけ拘束時間が削られるかも計算できる。スティック1入力が8F、ボタン1入力が14.4Fの拘束時間削減だ。
ニックが言ったように掴みのレバガチャ時には専用のエフェクトが出るため、どのタイミングでレバガチャを始めたのかも把握できる。
「掴まれたときが120%で、拘束Fが294F。掴まれてからレバガチャを開始したのが14F目。黄色の明滅が出たのは、その7F後だ」
目の前の同僚は、少し頭を捻って、あっ、とこぼした。
「……2F毎に1回のボタン入力が必要だ」
「その通り」
そして、スマブラSPには「別コマンドのレバガチャボタン入力には2Fの入力制限がかかる」という仕様がある。同一コマンドの場合は1Fの入力制限だ。
「つまり、このジョーカーは秒速30回の連打を、たった一つのボタンで行なっている。しかも、押し始めから正確に1Fの間隔を空けてな」
ぼくは、指をとんでもない速さで痙攣させ、一つのボタンを連打している人間を想像した。彼の目は虚ろで、だらしなく開いた口から唾液を垂らしている。何故?
「人間にそんな技が可能か?」
同じことをイメージしていたのだろう、ニックが解説してくれた。
「禁断症状を起こして手が震えてる薬物依存者にしか無理だろうな」
そうか、彼は薬物依存者だったのか。
頭の中のイカれた人物像に大きなバツをつけ、もう一つの可能性を口にしてみた。
「もしくは、『使えないはずの連射機能を使っている』か」
国内銀行共用データベースから同じジョーカーのリプレイ群をソートし、視聴する。ジョーカーが、台上のドンキーを降り空上連でハメている。
「この空上連も、よくみたら急降下のタイミングがF単位で一致している」
「操作精度が高いだけに見えないこともないが、こいつが『マクロ機能』を使ってるって言いたいのか?」
「そう考えるのが自然かもしれない」
「だが一度取り付けたプロコナイザーを無効化するなんて、どんな大企業がチャレンジしても不可能だったんだぞ」
ありえない、と言いたげにニックは首を振る。
ぼくは国内銀行共用データベースでさらにソートをかける。
このジョーカーは同じ銀行で、よくマネーマッチをしているようだった。
「確かめに行こう。カルフォルニア行きの便を頼む」

数か月の潜入捜査への英気を養うために空の旅を力の限りくつろぐことに決めたぼくは、カートを押す客室乗務員を呼び止める。
「アイスクリームありますか」
任天堂の低糖質豆乳バニラアイスならございます」
「じゃあそれで」
カートのクーラーボックス部分から、見慣れたアイスカップが出てきた。最初は固まっていてスプーンが入らないので、カップを掴んで手の熱で溶かしながら、フタの任天堂のロゴを見つめる。

Wii Fitとリングフィットアドベンチャーの成功は、任天堂の健康志向をとても強く後押しした。
運動補助だけでは健康をサポートしきれないと判断した任天堂は、このアイスのように健康食品事業を展開。
これが世界的に大ヒットしてしまって、任天堂はすっかりゲームを作ることをやめてしまった。今じゃダイエットフードといえばだれもが口を揃えて任天堂と言う。

ゲーム事業の撤廃に伴って、任天堂GCコン含むコントローラーの製造を停止したのは22年も前のことだ。しかし、高いゲーム性とesports人気に支えられて、スマブラの人気は現在も拡大を続けている。
純正のGCコンはすっかり洒落たアンティークとなった。新品のGCコンを手に入れそのまま実戦で使い古してしまう一部の変態的なマニアたちのせいで、その希少価値はあがりつづけた。状態のよいものが競りにかけられれば、オークション会場は怒号混じりに活気付く。そういう時代になった。
GCコンの製造が停止されたころから、下手すればいつか家が建つようなコントローラーでスマブラをする気にはならない、というまともな金銭感覚を持ったプレイヤーがGCコンの代わりを探し始めた。しかし、非公式コントローラーはあまりにも多種多様で、操作性は勿論のこと、重さやサイズ、デザインにすらこだわったプレイヤーらの意見はなかなか一致せず、それぞれの思う最適なコントローラーに枝分かれしていった。
一部を上げるだけでも、ホリクラシックコントローラー、BEBONCOOL、PDP Faceoff、Smashbox……Smash Boxに至ってはスティックすら存在しなかったが、どんなコントローラーでも使用するプレイヤーは一定数いると言ってよい。
しかし、これらのコントローラーは連射(ボタンを押したままにするとオートで連打される)やマクロ(一定の操作を記録しワンボタンで呼び出す)等の機能が多く盛り込まれていた。
大会を主催する首脳陣がそれらを放置するはずもなく、急遽資金を投じて対策を講じることにした。
そして、コントローラー開発各社にとあるICチップを配布した。
プロコンらしくするもの、Proconizer(プロコナイザー)と呼ばれたこの小さなチップは、既存の基盤に組み込むだけで連射・マクロ、その他ハードウェアチートと呼べるような機能の一切を制限した。たとえばPDP Faceoffの背面にある2つの追加ボタンは、なんの操作も割り当てられなくなる。
ご丁寧なことに一度取り付けると複雑なロックが掛かるので、外すことはできない。
プレイヤーたちは首脳陣の仕事をいたく賞賛したようだ。やっと自分の手に馴染むコントローラーを見つけたのに、使いもしないマクロ機能でそれらが競技シーンから追い出されることを危惧していたところだったから、この対応は願ったり叶ったりだったらしい。

ところで、スマブラがちょうどカルチャーとしてだけでなく、ビジネスとしての一面を帯び始めたのもこの頃からだ。
スマブラ人口が増えていくにつれ、高額なマネーマッチが行なわれるようになった。
文化から経済へ。
インターネットの発達によってPCモニターに張り付き株を売り飛ばすデイトレーダーが生まれたように、スマブラ競技シーンの発展はSwitchモニターに張り付き敵を吹き飛ばすプレイヤーが続出した。
最初は普通の会場で開かれる対戦会で行われていたのだが、彼らは現金での取引を主としたので、負けが込んでもすぐに降ろせるように銀行の近くに会場が設けられるようになった。やがて、対戦会は毎日行われるようになった。
プレイヤー数の拡大が続き、「マネーマッチは銀行の近くの会場で行われる」という認識が一般に浸透しきったころから、マネーマッチ会場を設置した銀行がぽつぽつと現れ始めた。やがて、銀行側がカジノさながらにチップを発行し、それらを勝敗が決したプレイヤーが授受するようになっていったのだ。
さらに各銀行はマネーマッチの勝率をリアルタイムで集計し、キャラ別で株を売り始めた。たとえばとあるキャラで有用な新テクニックが発見されて勝率が上がると、そのキャラの株の価値も上がる。これらはプレイヤーでない人々にも広く活用される投資先となったし、プレイヤー自身が自キャラの株を買い、キャラ開拓を重ね共有することで勝率を上げるという儲け方も一般化した。
同キャラ同士での仲間意識がより強く芽生え、各コミュニティは爆発的に拡大し、投資専門の動画勢も増え、メタゲームは加速していった。
こうして、スマブラはビジネスとしての性質を取り込みながら大きく隆盛していったのだった。
金が絡むようになると、問題も発生した。マネーマッチに勝ちたいあまり、様々な工作を行うプレイヤーが出てきたのだ。
手口は多岐に渡る。対面台で相手側モニターのゲームモードをオフにしたり、こっそりふっとび率を弄ったり、ロゼチコがモンスターボールをキャプチャしたり、自作ステージを選んで大量の大砲を降らせたり。
これらのスマブラ絡みの犯罪は基本的に州警察が処理するが、今回のようにプロコナイザーの無効化となると話は別だ。前例もなく、バックに組織があって、細工したコントローラーを配っている可能性が高い。州にまたがるような巨大犯罪として、こうしてFBIが直接調査する必要がある。
ある程度溶けたアイスにスプーンを差し込み、すくって口に運んだ。任天堂はこんなおいしいアイスを作り、アメリカ人の殆どを健康にしてしまった。現在アメリカの肥満率は一桁台で、平均寿命もぐっと上昇した。
放置したゲーム事業の方は今や巨大なビジネスに変貌した。しかし、こうやって法を犯す愚か者がいるというのは頂けない。アメリカ国民の安全を確保するエネルギーを蓄えようと、スプーンいっぱいのアイスにぱくついた。本当においしい。

マネーマッチ会場は盛況していた。すこしだけぐるりと歩き回ると、目当ての人物はすぐに見つかった。常人にはわからないレベルで操作をカモフラージュしているが、空上落としループをコントローラー背面のマクロボタンで入力していた。
少し意外だったのが、その犯人が女性だったことだ。
今回ぼくがこの会場に来たのは改造コントローラーの製造元を突き止めるためだ。そのためには情報を引き出すためにターゲットと親しい間柄になる必要がある。
男同士ならふつうに声をかけて仲良くなるだけなのだが、相手が異性だと少し別のテクニックが必要だ。自信があるわけではないが、やるしかない。

「今の対ピカチュウ、凄く上手ですね」
ぼくは自然な風を装って、声をかけた。視線は相手の目で固定する。
彼女は急な声掛けに、少し戸惑うようにしつつも返した。
「はい、それなりに研究したので」
ここだ。相手との共通項を提示して理由を作り自然に懐に入るための、お決まりの文章を出す。
「もしよかったらお伺いしてもよろしいでしょうか。ジョーカーでの対ピカチュウ、すごく悩んでいて」
やさしくみえるように微笑むと、彼女は頷いてくれた。
同キャラ同士での仲間意識というのはやはり強力だ。

そのあとは比較的簡単だった。できる限り相手の言うことに興味がある風を装って、会話を続けていった。
「なるほど、攻めに行かないんですね」
「はい、ここはラインを意識してですね」

「NBもあるし、ここは詰めてもいいんじゃないかい」
「この位置で撒かれたときかしら?基本的には」

「じゃあ、ここは間合いを取りながら」
「そうね、エイハで低リスクで」

「もう会場が閉まるのか。参ったな、まだまだ聞きたいことはあるのに」
「なら、この辺においしいイタリアンのお店があるのよ」

「オススメとかある?こっちに転勤してきたばかりで」
「じゃあカルフォルニアの本場のワインを──」

「MIT?すごい、それじゃエリートだ」
「あそこでしか学べないことがあって──」

そうして、ぼくは彼女に色々なことを教えてもらうことができた。
「今日はありがとう。キャラ対のこと以外も、色々教えてもらっちゃって」
「いいのよ。それより、しばらくこっちに住むんでしょう?」
「そうだね、また連絡するよ」
それを聞いて彼女は微笑んだ。正直言うと、綺麗だと思った。

解散したあと、ぼくは胸ポケットに隠していた小型マイクをオフにして、電話をかけた。
「ニック、解散したよ」
「一部始終を聞いてたから知ってる。FBIの『人付き合い』マニュアルの音声教材として導入してもいいくらいだな」
「茶化すのはやめてくれ」
ぼくがうんざりしていると、ニックが彼女のプロフィールを読み上げ始めた。
「ソフィア・ジェンキンス、25歳。マサチューセッツ工科大学工学部を卒業後、有名IT企業に就職。彼氏無し。今日引き出せたのはこれだけだったな」
接触を続けて、バックにいる組織を探ってみよう」
「よろしく頼むぜ」
電話が切れた。

それから一年ほど、ぼくはソフィアとの親交をゆっくりと深めた。
金曜日は仕事帰りに寄った風を装ってマネーマッチ会場に出向き、対戦を挟みながらソフィアを見つけて座学を持ちかける。
「やっぱり小戦場は拒否でいいんじゃないか?」
「その場合は相手の選択権が広くなってしまうわ。大丈夫よ、きっと相手も小戦場を嫌がるもの」
ソフィアの言葉には説得力があり、それでいて上品だった。ものを考えて発言することを心掛けているから、なにか言おうとする前に、指をあごにあてて考える癖があった。その仕草はひどく理知的で、次にどんなことを言って納得させてくれるのだろう、と期待してしまう。そんな魅力があった。
会場を後にして食事をするときもそのスタンスは崩れない。ぼくが仕事の愚痴(FBIで君を追跡しているとは言えないので、実際には架空のエピソードなのだが)を投げかけると、余裕が持てるような心のありかたについて答えてくれた。
しばらくあごに指を当てていたソフィアはゆっくりと口を開いた。
「あのね、人間が一度に脳に入れ続けられる人間の数ってすごく限られてるの。新たな人とのつながりを増やしていっても、昔に会った人との記憶は薄まっていって、次第に忘れていくのよ。たとえば大切な人が亡くなって悲哀に満ち溢れてしまったとしても、次第にその人が薄まっていけば乗り越えられるでしょう。脳のシステムは、そういうふうにできているの」
「ぼくの上司を亡き者にしてしまえ、ってことかい」
ソフィアは笑って、
「違うわよ、辛いようなら忘れてしまえばいいってこと」

彼女と話していると、彼女が身にまとった落ち着いた雰囲気をそのままぼくに分け与えてくれているようで、とても心地が良かった。

ただし、彼女は自分の正体を隠し続けている。改造したコントローラーを使っている素振りなんて一切見せない。
そして、ぼくも同じであることに気が付いた。
ぼくたちはお互いに自分を偽ったまま、お互いを理解していった。

あるとき、いつものようにイタリアンを食べていると彼女が口を開いた。
「わたしね、父親がコントローラー事業に失敗して自殺したの。20年前に」
え、と声が漏れた。なんの脈略もなかったのでびっくりしてしまった。
「プロコナイザーの普及に伴って、一部のコントローラーが廃れていったのは知ってるわよね。父親の会社はスティックの精度や持ち心地を犠牲にして色々な機能を盛り込んでたから、プロコナイザーは天敵でしかなかった」
ぼくは純粋に疑問に思って訊いた。
「どうして、そんな話を急に?」
「明日見せたいものがあるの」

帰路で電話に出ると、ニックが興奮しながらまくし立ててきた。
「ようやくわかったぞ。バックに組織なんてなかった。すべてあの女一人でやったことだ」
「本当か」
ぼくは驚いた感じで答えたけれど、実際のところはあまり驚かなかった。ソフィアならひとりでプロコナイザーを手籠めにしてしまってもおかしくなさそうだ。
「さっきの会話を聞いてたらピンときた。20年前に倒産したコントローラー制作会社。ここはプロコナイザーのせいで営業が傾いて、極秘にプロコナイザー無効化を企てていたらしい。FBIの捜査ファイルに残っていた」
「というと?」
「この会社のプロコナイザー無効化に関する資料は行方不明になっていたんだ。身辺の人間を総当たりしたらしいんだが、まさか五歳の娘に託しているとは思わなかったんだろう、唯一調べていなかった」
ソフィアが、亡くなった父親にどのように資料を渡され、どんなふうに無念を述べられたのかはわからない。だが、どれだけ重い呪縛になったのかは想像に難くなかった。
「状況証拠が揃い切った。あの女は単独犯だ。そして、プロコナイザーの解除方法を知っている。当局は二日後にSWATによる突入を行うことにしたらしい」
SWATなんて大げさだ、と言うと、ニックはいたって平坦な声色で、
「プロコナイザーの解除方法が外に漏れることはあってはならない、とのことだ。最早アメリカの経済はマネーマッチ無しでは成り立たない。俺もそう思う」
だから殺す、とは言わなかった。
どうやら、アメリカはぼくが思っていたよりも腐敗しきっていたらしい。
ぼくは一言、そうか、と呟いて電話を切った。

翌日、夕食後に訪れたソフィアの部屋はとてもさっぱりしていた。部屋の隅にある、電子機器類で乱雑とした机を除いて。
「あれはなんだい」
ぼくはその内訳を知っていて、それでもなお白々しく訊ねる。
ソフィアは答えない。口で答えるのではなく、実際にぼくにマクロを見せようと思っているのだろうか。
ぼくたちは無言でモニターの前に座り、コントローラーを挿して、ジョーカーミラーをした。
ステージは小戦場で、少し差し合いを繰り返した後、彼女の降り空上がヒットして、ぼくは台上に乗った。
ソフィアはスティックを動かさなかった。背面のマクロボタンをそっとぼくに見せるように、片手でコントローラーを持ったまま、手首を返した。
依然、彼女のジョーカーの空上ループは止まらない。
彼女の顔は伏し目がちに歪んでいた。懺悔の表情というのはこういうことを言うのだろう。
きっと彼女は秘密を共有できる相手を探していたのだろう。とても大きな隠し事を抱え続けることの辛さは、彼女に教えてもらってばかりのぼくも知っていた。
でも、なんでも知っている彼女も、唯一知らないことがある。
ぼくはあなたの罪をあばくためにあなたと親しくなりました。
明日が終わらないうちに、ぼくの仲間があなたのことを押さえつけて、そのまま撃ち殺してしまうでしょう。
頭の中でだけ僕なりの懺悔を思い浮かべていたら、だから一緒に逃げよう、なんて文章が音になって流れ出そうになって、ぼくは慌てて口を閉じた。

なにも言えなくなって、彼女の肩を抱いた。それでもなお彼女はマクロボタンを離すことができず、暗くて静かな部屋には、空上のヒット音だけが響いていた。


ソフィアがいなくなってから、二年が経過した。僕はサンフランシスコから元の職場に戻っていたが、ぼくの中でソフィアが薄まることはなかった。
どうしてあの日、一緒に逃げ出そうと言えなかったのか。ぼくの心のなかには、確実に後悔が募っていた。
ある日、ソフィアの部屋から押収されたデータ群を閲覧できることに気が付いた。これにはソフィア自身の施したロックが掛かっていて、だれにも解除できないだろう、とファイルの海に野ざらしにされていたのだ。
ぼくはパスワード欄に彼女に関するあらゆるプロフィールを入力し、ロックを解除することに成功した。彼女の父親の名前だった。
プロコナイザーの基礎構造からハック方法まで記されたこれらを、ぼくは必死に読み込んだ。あのときのようにソフィアが色々なことを教えてくれたような気がした。
ある程度の理解が進むと、プロコナイザーの機能を無効化するだけでなく、より強力な機能を後付けできることに気が付いた。
つまり、プロコンにできない操作だけでなく、一切の操作を効かなくする。
事実上のコントローラー破壊だ。
プロコナイザーのハッキングはワイヤレスで行われる。ソフィアは専用の器具を使っていたらしいが、これの周波数はどうやら無線LANでも利用できるらしかった。
FBIの権限を利用して、アメリカ全土の銀行のセキュリティに侵入する。普段出している電波のうち、これからほんの一部だけを間借りさせてもらう。

あのとき、ソフィアはぼくに罪を打ち明けた。秘密を共有するために。
では、罪を打ち明けられたぼくが彼女に対してもっとも誠実に応えるとしたら、なにができるのだろうか。
結果、ぼくは彼女の罪を一緒に背負うことにした。
エンターキーを押す。
アメリカ全土にある銀行の無線LANが、あらゆるプロコナイザーの機能を改変する。スティックが効かなくなり、ボタンが効かなくなり、様々なプレイヤーが「ガードした」「ジャンプした」と喚いているのだろうか、と想像すると少し笑えた。
アメリカの経済にすっかり組み込まれたスマブラは、今、完全に停止した。
このあと、ソフィアを殺して経済を回すことに執着したアメリカは、巨大な負債を抱えることになった銀行群を支えきれず、経済そのものを失うだろう。任天堂が釣り上げた平均寿命は、これからどれだけ下がるのだろうか。
生憎、この国がどんなに壊れようともぼくにはどうでもよかった。

とくにぼくは意図していなかったのだが、今日はソフィアの命日だったようだ。
椅子にもたれかかり、ふと彼女の言葉を思い出していた。
辛いようなら忘れてしまえばいい、という割には彼女は父親の遺言を忘れることはできなかったようだし、ぼくもぼくで彼女が死んでからも彼女の罪を背負おうとしている。
じつは似た者同士なのかもしれない、と気づいて、すこし嬉しくなった。